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WCC世界宣教・伝道会議に参加して 1997年2月

1996年11月24日から12月3日まで、ブラジル北東部の玄関サルバドールにおいて、WCC(世界教会協議会)の、世界宣教・伝道会議が開かれた。世界宣教・伝道会議は、WCCの諸会議の中で最も伝統あるもので、1910年のエディンバラ会議以来、今回で11回目にあたる。今回の会議では、「一つの希望に召されて。-諸文化における福音」というテーマのもと、80数カ国から638人の参加者が集まり、福音と文化の関係について、特にマイノリティーの視点から問い直し、共通理解に立つことをめざした。

今回、「福音と文化」の関係を問う会議が、ブラジルのサルバドールで開かれたことは、意味深い。サルバドールは、ブラジルの古都であると同時に、奴隷取引の中心地であった。今日、世界で最も黒人人口の多い都市の一つである。ここでは、数多くの華麗なカトリック教会に代表されるコロニア文化と、奴隷たちの築いた独自のアフロ・ブラジル文化が同居し、溶け合う。サルバドールは、キリスト教がいかに他文化の人々を蹂躙するために機能してきたか、しかし同時に福音がそうした文化の多様性の中でどのように育まれてきたかを目の当たりに見られる都市である。実際にわたしたちは、11月30日ウニャーン邸と呼ばれる奴隷取引場を見学し、そこで特別礼拝を守ることによって、そうした思いを深くした。

世界教会協議会の総幹事コンラード・ライザー氏は、開会演説で「WCCの大会に先立つ2~3年前に世界宣教・伝道会議が開催されることは、ほとんど伝統になっている。これまでも世界宣教・伝道会議は、WCC大会におけるより広いエキュメニカルな議論のために、現在進行中の宣教の問題について熟考する機会を与えてきた。このサルバドール会議と2年後のハラレ大会(ジンバブエ)もそういう関係になると信じている」と語った。

課題共有の出発点は、文化の多様性を理解することであるので、そのために会議開催中、「虹の部屋」と名付けられた部屋には、世界各地の教会の様子や働きを示す展示がなされ、また4つのグループにわけられた「出会い」という時間においては、音楽や踊りを通して、キリストの福音がどのように文化に反映しているかが、紹介された。

ライザー氏
(開会演説をするコンラード・ライザー氏)

主題講演は、ロシア正教会大司教スモレンスクのキリル氏と、ケニアのルーテル派女性神学者ムシンビ・カニョロ氏によってなされた。

キリル氏は、「キリスト教の到来と共に、ロシア文化は教会を通して福音の霊的力を吸収してきた。70年間の共産主義者の迫害の間、ロシアの人々を支えてきたものは、文学、芸術、詩、音楽に反映された、その霊的力だ」と語った。彼はまた、「ソビエト連邦の崩壊後、ロシア正教会は共産主義に『少しも劣らぬ、新しい困難な状況』に直面している。ロシアはすでに伝統的な正教会が存在することを全く考慮せず、あたかも無神論者の国に伝道するかのようなクルセイドが始まり、おびただしい宣教師がやってきた。こうした改宗主義は、宣教が何であるかを誤解しているだけではなく、他文化による侵略でさえある。海外からの宣教は、その地にある教会を助け、支えるという形をとるべきである。その地の教会を無視することは、縫い目のないキリストの外套を引き裂くようなものである」と宣教のあり方に警鐘を鳴らした。

またカニョロ氏は「最近テレビで放映されている中央アフリカの難民の姿を見ることは、『一つの希望』という今回のテーマをあざ笑うかのようだ。アフリカ人は、虐殺された兄弟姉妹の血の呪いと共に生きている。集団墓地と埋葬されなかった死者の漂浪する魂が大地を汚している。今日わたしたちの大陸で起こっていることは、わたしたちの西欧の隣人たちによって悪化させられた歴史に根ざしている」と告発しつつも、「小児結婚や女子割礼や有害な『通過儀礼』などの社会慣習が多くのアフリカ人女性を押さえ付けている時に、いかに『文化』が彼女たちを黙らせてきたかを、農村での聖書の学びが、彼女たちに明らかにしてくれた。今アフリカ人女性は、文化そのものを、それが正義、命、平和、解放をもたらすものであるか、あるいは人間を減らし、人間性を奪うものであるか、注意深く吟味するよう、教会に召されている」と希望をもって語った。

フォルクローレ
(フォルクローレの音楽で礼拝をリードするラテン・アメリカの代表たち)

主題講演の後も、それぞれ全く文化的背景の違う8人により興味深い発題講演がなされたが、この会議で最も重要な意義をもつものは、分団協議であろう。参加者は《それぞれの文化の中の真実な証し》、《共同体における福音とアイデンティティー》、《多元社会における各個教会》、《ひとつの福音、多様な表現》という4つのテーマに基づく分団に分かれ、これらのテーマが含みもつ問題を、準備論文を材料にしながら出し合い、それを全体で共有できる文章に練り上げていった。会議日程の約半分はこの作業に費やされた。その内容は広範かつ多岐にわたり、とても要約できるものではないが、そこに貫かれているものは、マイノリティーの視点から宣教を問い直す姿勢であった。

毎日行われた、さまざまな文化様式に基づく礼拝と、『聖霊、福音、諸文化』というテキストを用いた、少人数による毎朝の使徒言行録の聖書研究は、議論が祈りつつ聖書に基づいてなされるべきであることを思い起こさせてくれた。

聖書研究
(毎朝開かれた聖書研究)

WCCでは、この会議のために並々ならぬ準備をしてきた。今回のテーマについて5年間、さまざまな角度から世界各地で何度も準備会を開き、その結果をそれだけでも固有の価値がある準備論文集にまとめ、また季刊の『ミッション』においても4回の全面特集を組んでいる。それに携わった人々は60カ国以上に及び、今会議の参加者の数をはるかに上回ると言う。わたしは、こうした国際的な「福音と文化」についての共同研究に、日本のWCC加盟教会が加わってきた気配が感じられなかったこと、また会議自体にもブラジル在住のわたし以外に、日本の教会からの代表がいなかったことを、さびしく、また残念に思った。せめてこの会議の結果や、そのエキュメニカルな意義を、何らかの形で分かち合っていただきたいと思う。
会議の記録は、今年(1997年)5月頃、WCC出版局から出版される予定である。

(『キリスト新聞』のための原稿、1997年2月)

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